米トランプ大統領が署名した大統領令に基づき、
グーグルマップ上でも「メキシコ湾」が「アメリカ湾」に変更されると話題に。
同様に、北米最高峰、アラスカ州にある山「デナリ(Denali)」も、
「マウント・マッキンリー(マッキンリー山/Mount McKinley)」という名称に戻されるようです。
(これは米国内において/それ以外の国では両名称が併記されるなど)
この山は、探検家の植村直己さんが消息を絶ったことでも知られている山ですよね。
この山の改名ですが、約100年ほど続いた「マッキンリー」という呼称が、
オバマ大統領の頃に「デナリ」に変更され(2015年8月)、
そして今回また「マッキンリー」に戻されるという経緯をたどることに。
そもそもこの「マッキンリー」とは、アメリカ合衆国第25代大統領の名にちなんだものとのこと。
ところが、このウィリアム・マッキンリー氏は、特段アラスカとのつながりもなかったと言われています。
(しかも、アラスカもこの山も一度も訪れたことがなかったとも伝えられていて)
では、一体なぜ、この山にこの大統領の名前が付けられることになったのか。
そこにはとある金の採鉱者による働きかけがあったようなのですが。
本記事では、今回の改名で、再び脚光を浴びることとなった
「マッキンリー山」の名前の由来を深掘り! この命名の謎に迫りたいと思います。
まずは名称変更の経緯を確認!
まずは、この山にどんな名前の遍歴があるのか、ざくっと確認しておきたいと思います。
長い歴史を通じて、実に様々な呼称で呼ばれてきた経緯があるようなのです。(下記で一部紹介)
元々、アラスカ原住民コユコン族の間では長きにわたり「デナリ」と呼ばれてきたそうです。
これは、「高きもの、偉大なるもの」などの意味だそう。
ロシア帝国の支配下にあった当時は、Bolshaya Gora(big mountainの意味)と呼ばれた時代も。
アメリカがロシアからアラスカを購入(1867年)してから数十年後、
当時の金採鉱者の1人であった Frank Densmore という人物の名にちなみ、
Densmore Mountain や Densmore Peak と呼ばれていた時期もあったようです。
(彼は、このとてつもない山の存在を大いに広め歩いたと伝えられています)
そんな中、1896年、とある金採鉱者により、「マッキンリー」という名をつける提案がなされることに。
この金採鉱者者とは一体何者なのか!?
彼はなぜ、マッキンリー氏の名にちなみ、この山の命名をしたのか?
しかも、当時まだ大統領ではなく、あくまでも大統領候補者であったマッキンリー氏の名を。
「マッキンリー山」の名付け親は金の採鉱者!?
wiki(日本語版)などでは、「マッキンリー山」という命名について以下のように解説されています。
「オハイオ州出身の採鉱者が同州出身の大統領候補だったマッキンリー氏の名を付けるよう提案した」と。
なるほど、まずは「マッキンリー山」と命名したのは、(金の)採鉱者ということで間違いなさそうですね。
(wikiの英語版や各種英語文献にて、a gold prospector による命名とされています)
これは、同郷のよしみもあり、この壮大な山にマッキンリー氏の名を付けたのかとも受け取れる説明ですよね。
ところが、少々調べてみると、この採鉱者の出身は、ニューハンプシャー州との情報も出てきて。
しかも、政府関係者などではななく、なぜ金の採鉱者が山の命名に関わってくるのかも不思議なところで。
「金の採鉱者」が命名した謎を深掘り!
この「採鉱者」とは誰?
この採鉱者とは、William A. Dickeyという人物であったそうです。
1862年、米国ニューハンプシャー州の最大都市マンチェスター生まれ。
ダートマス大学およびプリンストン大学を卒業後、銀行業、不動産業、卸売り&小売業など、幅広く活躍。
加えて、プリンストン大学の院生かつ新聞記者という肩書もあったようなのです。
そんなDickey氏が金採掘のためアラスカへ向かったのが1896年のこと。
この山と出会い、北米最高峰であることを確信し魅了されたDickey等一行は、
この山に「マウント・マッキンリー(マッキンリー山)」という名を付けることに。
当時ちょうど、米大統領選があり、共和党の大統領候補者にウィリアム・マッキンリー氏が選ばれることに。
これを受けての命名だったようなのですが、なぜ、彼の名が選ばれたのでしょうか!?
山に「マッキンリー」と名付けた動機は!?
実は、ウィリアム・マッキンリー氏は、金本位制の支持者だったのです。
そんな彼を支持していた彼らは、このニュースに歓喜したと伝えられています。
そこで考え付いたのが、この北米最高峰の山にふさわしい名としてマッキンリー氏の名を冠するという考えだったそうです。
この背景には、当時、生産量が急拡大していた銀の支持派との激しい軋轢などもあったようなのです。
アンチ・マッキンリー派の銀支持派との対立はDickey氏を突き動かします。
金本位制を掲げるマッキンリー氏の名をもって銀派に一矢報いる決断をすることに。
そこでとった行動が、マッキンリー支持派である the New York Sun紙への記事公開だったのです。
彼は、1897年(1月24日付)、アラスカでの金採鉱の詳細を発表しますが、
その際、この壮大なアラスカの山の紹介で、「マッキンリー山」という名前を使ったのです。
この記事の中で、彼はこの名を繰り返し印象付けしたそうです。
この後、マッキンリー氏は米国第25代大統領に就任、この山の名も定着していくことに。
1901年マッキンリー氏の暗殺を受け、この名がさらなる支持を受けていくことにも。
この後、1917年には連邦政府により公式の名となり、これが2015年まで続く運びとなります。
アラスカにある北米最高峰と言われる山に「マッキンリー山」という名が付けられた背景の1つには、
ある採鉱者とウィリアム・マッキンリー元大統領との間の「金」を介したつながりがあったようですね。
2015年からおよそ10年間、封印されていたこの名が、トランプ政権により復活を遂げることに。
Googleマップ変更にまつわるこのニュースが駆け巡った1月29日は、
折しも、マッキンリー元大統領の誕生日だったそうで。
これは単なる偶然だったのでしょうか。(生誕188年)
それもまた謎。
参考記事の一部)
「デナリ」(wiki)
「ウィリアム・マッキンリー」(wiki)
「William A. Dickey」(Northern Light Media)